妻を帽子と間違えた男
オリバーサックス氏著、妻を帽子と間違えた男を読みました。
この本は脳神経疾患に関する症例集の体を取っていますが、内容は小説的であり多くの示唆を与えてくれる作品でした。
この本を読んで欲しい人は人工知能やロボットに関心がある人と心や魂について考えたことのある人々です。なぜなら、この本ではそれらのテーマについて深く考えさせられる内容が多く含まれているからです。
沢山の興味深い症例が紹介されていましたが、ここではその中でも特に示唆的だと感じた部分について紹介したいと思います。
紹介するのは表題にもなっている「妻を帽子と間違えた男」それから「からだのないクリスチーナ」、「大統領の演説」の3つです。
まず、「妻を帽子と間違えた男」。
この症例は顔貌失認という人の顔の個々の部品(鼻、口、目など)は認識できるのに、それらの集合体としての顔が認識できない症状の人物に著者があった際のストーリーです。
顔貌失認はドラマなどでしばしば取り上げられているので知っている方も多いかもしれませんが、「妻を帽子と間違えた男」を読んだ後ではそれらのドラマで描かれた顔貌失認がいかにお粗末なものであったかを知ると同時に、普段意識することのない自らの脳の活動に思いをはせることを保証します。
顔の認識、このテーマで連想されるのは機械学習による画像認識でしょう。
画像認識について多少なりとも興味や関わりがある人にとって、「妻と帽子を間違えた男」は患者が何を喪ったのか、機械と人間の画像認識の仕方にどのような違いがあるのか、について考えさせられることでしょう。
次に「からだのないクリスチーナ」です。このエピソードは二足歩行ロボットに関心のある人に読んでもらいたいです。
このエピソードでは、怪我によって個々の感覚は正常にも関わらず立ったりすることができなくなる患者が描かれています。著者はこれを固有感覚が失われたせいだと記していました。
僕はこのエピソードを読んで、「二足歩行ロボットにおいて固有感覚に相当する機能はなんなのだろう?」と考えました。機械工学を専門になさっている方ならこの問いをさらに深く考察し答えにたどり着けるのではないか、と思っています。
また、固有感覚についての詳しい説明は実際に本を読んでいただくとして、固有感覚のように一般的に全ての人々が問題なく備えている能力を失った時、人々はどのように感じるのかを間接的にせよ知ることができるのはこの本全体を貫く面白さであると思います。
最後は「大統領の演説」です。
このエピソードは失語症によって言語を理解できなくなっている患者と、音感失認症によって言葉を単語の連なりとしてしか解釈できない患者が大統領の演説をテレビで観てそれぞれ異なる反応を見せるというものです。
具体的な内容については伏せますが、言葉というものがいかに複雑な情報を伴うものか、そして複雑に絡み合う情報の一部のみを認識した場合、感動的な演説がどのように変化するか、はとても興味深いものでした。
「妻を帽子と間違えた男」には、これ以外にも沢山のエピソードが収録されています。中には魂についての深い示唆や生きている状態、人間の営みにおける物語の役割などがあります。
どれも考えさせるものばかりで是非多くの人に読んでもらいたい1冊です。
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